カマカマの雑草ブログ

個人の日記です

休職と適応障害と療養、あるいは問題解決のための期間に対しての祈り

いま自分は東京の地を離れ、荷物を簡単にまとめて実家に帰り、ダイニングで家族と話しながらこの日記を書いている。 かつてけたたましく鳴り響いていた職場のチャットの通知音も今はもう聞こえない(ホッとしているが、少し寂しくもある)

適応障害、ひどく酩酊し自殺を仄めかす内容のメールを家族に送り、そのまま晴れて精神科初受診となった自分に対して降りた診断結果がそれだった。

原因は色々検討は付いているが、一番大きいのは運が悪かった というところに尽きるのだろうと思う。別に職場環境やチームメンバーにどうこう文句とか、嘆きとかを言うつもりはあまりなく、単純に何もかもの運が悪かったのだと認識している。運が悪すぎると人は死ぬので、そうならなかった点においては幸運であったのかもしれない。 色々あったものの円満な休職となったので、会社のチームの面々や部署の方々には大変感謝しつつ、迷惑をかけたことへの一抹の申し訳無さがある(が、そんなことは考えなくていいと関係各所から口酸っぱく言われている。自責で潰れるタイプであるという認識は広まっているようである)

さて、休職となったからには最優先で取り組むべきは"療養"である。 療養し、心身を整え、再び復職できるように務めるための期間である。

療養の定義とは何であろうか、インターネットはこう語る。

[名](スル)病気やけがの手当てをし、からだを休めて健康の回復をはかること。治療と養生。「自宅で療養する」

療養(リョウヨウ)とは - コトバンク

本質は休むことではなく、健康の回復をはかること。そのための手段を行使することである。

健康の回復をはかるために、休む他にやるべきことが一つある。

仕事の精神的重圧でかなり参っていたとき、自分は自意識を曖昧にするために大量の飲酒をし、酩酊状態でインターネットをしていたときに過去を振り返った辺りからおかしくなり始めている。

ここから辿るとどんどん内容が終わっていっている。

歴史、過去、むかしむかし、の、こと、を考えると十中八九こうなる。酩酊状態はこれにブーストをかけ、精神的重圧が更にそれを押し進め、衝動性が高まった末にこうなった(以来、なるべく独りで酒は飲まないようにしている……)

酒はまあさておき(本心としては飲みたいし楽しみたいのだが、まあこうなってしまってはKMY-A3は臨時休業である)、本当に問題があるのは過去にまつわる自分自身の心なのだ。おそらくここに大きな爆弾を抱えたまま、見て見ぬふりをし続けて自分は生き続けている。

これを自分は"呪い"と表現することにした。呪いの正体は分かっている、過去を許せぬ自分の心、不出来を許せぬ自分の心、過去を恥じる自分の心、そうして結果、ひどいことを繰り返してしまったという事実。

休職中に、どうにか、この呪いを解く必要がある。

この期間は療養期間であると同時に、業務に従事していた頃と同じく(あるいは、それ以上の)問題解決のための期間であることも事実なのだ。

とはいえ、あまり難しく、そして深くネガティブに考え過ぎてしまうと療養に対して極めて悪影響であるから、距離感を取りつつ、立ち向かっていく必要がある。幸いにも休職は円満で、色々な方から、そして友人から、家族から暖かい言葉を頂けたので(罵声が一つもなかったので出来過ぎだろうとは思っている性根の曲がった男ではあるのだが)、これがあるならばきっと何とでもなるだろうと祈っている。

この無責任で思考停止なささやかな祈りが、呪いを解くための一助となることを願ってやまない。

ところで今年の抱負の「死なない 病まない」は速攻で反故となってしまったので、せめて死なぬようにやっていきたいものである……。